曙さん 私は35年間東京で勤めていました。
釣りが大好きで東京にいる時は週末になれば伊豆に釣りに行っていたので、
定年後は伊豆に住んで釣りと畑の生活をしたいなと漠然と思っていました。
57歳になったとき、実家のある金沢の父が急病で入院することになり、
看病をするため会社を辞め金沢に戻ってきたんです。
すると今度は、母も精神病にかかってしまいました。
住む場所を変えたら母の病気にも良いかもと思い、妻と母と3人で暮らす家を石川県中で探しました。
なかなかピンと来る家や土地が見つからなかったのですが、
ある新聞記事で募集されていた「能登島で田舎暮らし体験」という2泊3日のイベントに参加しました。
それがきっかけで能登島で行われるイベントによく参加するようになり、人の縁もできてきたんです。
そこでできたご縁で土地を紹介してもらい、すぐに気に入り購入を決めました。
景色もいいし、念願の畑もできるし、海も近いからすぐに釣りにもいけるし、
僕たちにとっては最高のロケーションです。
残念ながら、結局母はここで住むことはなかったんですが、
そこから私たち夫婦の新しい生活が始まりました。
可南子さん 今まで、都会の便利な暮らしになれていたので最初はギャップに戸惑いました。
だけどねえ、ここでは生活ができちゃんうんですよね。
何か欲しいと言えば家に持ってきてくれる人がいる。
「じゃがいも欲しいわ」と言えば近所の人が次の日には届けてくれるんですから(笑)。
コンビニもスーパーもない、この不便さがいいんですよね。不便を買ったんです。
私たちにとってはこの不便さに代えがたい値打ちがあると思っています。
可南子さん ほとんど無いです(笑)。
だけど、すごく助かるのは、医療が充実してるところ。
私は病気があるので、恵寿総合病院に定期的に通ってるんですが
少し車を走らせれば行ける距離なんです。
病院は大きくて、設備も充実していて、良い先生ばかりです。
東京ではこんなに良い病院に出会ったことがないくらい。
こちらの病院は、ゆったりと落ち着ける空間なんですよね。
恵寿総合病院があるから安心して毎日生活できているんですよ。
曙さん 最初の1年くらいは、ご近所の方との距離を感じました。
私たちも地元の方たちもお互い様子を見合ってる感じでしたね(笑)。
だけど徐々に、畑仕事をしているとあいさつをしてもらうようになったり、
積極的に地域の集まりに参加しているうちに、溶け込んでいきました。
今では、獲れたての「ブリしゃぶパーティ」や、「そば打ちパーティ」など
ご近所の方とパーティをするような仲になって毎日楽しいんですよ。
可南子さん 私は、元々自分から積極的に関わっていくタイプじゃないので、
お父さんが切り開いた道を通ってるような感じですかね(笑)。
だけど、やっぱり人と関わっているから楽しい。お父さんのおかげです。
曙さん 正直、若い人は住むのが難しいかもしれません。
生業を成り立たせることが不安要素になると思います。
だけど、島でも農業で頑張ってる若者もいて希望も見えています。
こちらの生活は、消費が少ないんです。浪費というんでしょうか。
東京は何かが欲しいときお金を使って手に入れます。こちらは、お金はそんなに使わない。
野菜は自分のところで採れるし、採れない野菜は人からもらえるし、
魚は釣って来ればいいし、とにかくお金がかからない。皆ここで生きていく知恵をつけてるんですね。
で、ちょっとお小遣い稼ぎにと、かあちゃん市場というのを毎週開いていて、
そこで採れたての野菜や魚を販売してるんです。
分け合う文化で、島の皆で生きていっているところが素敵だなと思うんです。